自転車×Ingress日記、前回は“石碑系ポータル”を自転車で出かけたついでにチェックしました。今回はその続編です。すみません、まだちょっと気になる石碑があったので。ただし石碑以外のものもあるので、今回は「モニュメント」としました。
さて、今回まず訪ねたのが、東京都町田市と神奈川県相模原市の境目を流れる、境川沿いのもろもろです。まずは相模原市内、上鶴間高校の近くにある「鎌倉道の碑」から。
境川の旧河道近くにあるようで、ポンプ場の裏にひっそりと佇んでいました。
新しいもののようです。
なるほど、まだ20年経っていないわけだ。
6月初旬、あじさいが咲き始めていました。
猫の額のように狭い林ですが、管理は行き届いています。
若干微妙な説明書きがありました。こういうのも石碑の楽しみです(本当?)
鎌倉道、かまくら道とは、次の通り鎌倉に行くための道です。多摩南部や神奈川南部には、そう呼ばれる道がいくつかありますし、丘陵地の中に古道として残っているものもあります。この境川の河畔にも、鎌倉道のひとつが通っていたようです。
次のポイントに行きましょう。
境川にでっかい鯉とカメがいました。左端のカメは外来種のミシシッピアカミミガメですね〜。
というわけでやってきました「上鶴間一番地之碑」。
きれいな?L8ポータルなのでまずはハックして、と。
これは結構歴史があるのでは?
ちなみに、碑の横に橋がありますが、これは境川の旧河道にかかる「鶴金橋」です。現在の河道にも同名の橋があります。この付近の「鶴間」と「金森」という地名から取られた名前でしょうか。
この石碑についての情報は、地元公民館のWebサイトにありました。
石碑の解説PDFは[こちら]
昭和48年ということで、思ったほど古くありませんでした。
ここが上鶴間の一番地だよ〜という碑だったわけですが、実は2004年、平成16年になってこの場所は「上鶴間本町」になっています。後年になって碑の重みが増してますな!
ちなみに「鶴間」の名は、相模原市、大和市、町田市にまたがって存在しているのも面白いところ。
道が狭いうえに交通量が多くて長居はできないので、次の場所へ。
えーっと、このへんに……あれ、ないな。
あ、ここか。
「旧原町田駅の駅名標」です。JR町田駅の近くにあります。
現在のJR横浜線町田駅が、今よりちょっと東神奈川方面に行ったところに「原町田駅」という名前で立地していた時代の、ホームに立てられていた駅名標です。駅は1987年に現在地に移転し、駅名も「町田」に変わりました(余談ですが小田急の方は、1976年に新原町田から町田へと改称しています)。
現在、八王子方面の一つ先は古淵駅ですが、古淵駅が開業したのは1988年。この駅名標があった頃は、淵野辺駅が隣でした。この駅名標は、縁あって譲られたもののようです。この場所に駅があったわけではありません。
以前は道路沿いの植え込みに立てられていたのですが、木が切られるなどの影響を受けて、何度か場所が変わっています。この壁面に沿うように置かれるのは、たぶん通算二度目。
もし今でも「原町田駅」や「新原町田駅」だったら、ずいぶんと泥臭い印象だったでしょうね。駅がある場所の住所は今でも原町田ですが。
次に行きましょう。
地図を貼っていないので「どこだよ!」と思っている方もいりでしょうが、とにかく町田駅付近から、小田急線の相模大野駅付近へと自転車を走らせます。
踏切の近くにある石碑。
「謝恩碑」。
どうも昭和11年に建てられたようなのですが。
こちらの方を謝恩しての碑なのでしょうか。
でも、何を謝恩しているのか?
実は現地に見に来てもよくわかりませんでした。いちおう手入れはされているようですが、草ボウボウで裏側はあまりよく観察できていないので(前回ある石碑の裏に入って虫に刺されまくりました)、冬にでも再確認したいと思います。
電車の乗客からは、怪しい人物に見られたでしょうか。
それにしても、結構街中にあるもんですね、石碑って。
(Gen SUGAI)
須貝 弦(すがい・げん):1975年東京都新宿区生まれ、川崎市麻生区在住。雑誌原稿の編集・取材・執筆の他、企業Webサイトやオフィシャルブログの制作にも携わる。自転車と小田急ロマンスカーが好き。初めてのスポーツ自転車は1986年あたりのアラヤ・マディフォックス。2001年頃にGTのクロスバイクで数年ぶりにスポーツ自転車に復帰。現在のメインの愛車はアルミのロードバイク「TREK Domane AL3 DISC」。