酷暑の中、静岡県の日本サイクルスポーツセンターで行われた第8回全日本選手権エリート男子は、シマノの野寺秀徳選手が勝利しました。昨年のチャンピオン田代選手(ブリヂストンアンカー)は、惜しくも2位でした。日本を代表する選手の1人で、ジロ・デ・イタリアを完走した経験もある野寺選手は、初めて全日本のタイトルを手に入れました。
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1位 野寺 秀徳 JPCA シマノレーシング 5:05:55
2位 田代 恭崇 JPCA ブリヂストンサイクル 5:05:56
3位 真鍋 和幸 JPCA チームニッポ 5:06:06
4位 広瀬 学 石川 キナンCCD 5:06:29
5位 岡崎 和也 JPCA NIPPO 5:06:58
6位 狩野 智也 JPCA シマノレーシング 5:07:00
観戦レポート
(ここから先は私のメモと記憶を頼りにして書くので、少し間違いがあるかもしれません)
梅雨はどこへ行った?という感じのいい天気。気温もかなり上がってきた。でも今日は海開きではありません、全日本選手権です。レース開始時の気温はすでに30度に届こうかという勢い。「こりゃゆっくりペースかな」なんて思いながらスタートを眺めていたら「あ、誰か行ったぞ!」。
どうやら最初の上り(今日も上りゴールです)で2人ほどがドンっと行って、1周目から8人が飛び出した模様。そこにはアンカーの福島康司選手、ミヤタスバルの中川選手と綾部選手、愛三工業の新保選手、そしてシマノの大内選手など有力どころが含まれていました。
しばらくすると逃げのメンバーは、福島(康)、中川と綾部、新保の4名に絞られ「シマノが前に1人もいない」状態となり、逃げと集団のタイム差は1分20秒〜1分45秒くらいで数周を経過します。集団はシマノの阿部選手が引いているようです。その一方で、暑さのせいか愛三工業の西谷選手や盛選手が7周回で消えるなど、選手がどんどんとリタイヤしていきました。ディスカバリーチャンネルの別府史之選手も、ホイールのトラブルなどで遅れていきます。
その後逃げは吸収され、11周目突入時ではシマノの野寺選手、ブリジストンアンカーの鈴木真理選手、NIPPOの岡崎選手などが前方で展開、その後スミタラバネロパールイズミの飯島誠選手とアンカーの宮澤選手が先頭に立ち、11周目から12周目に入るホームストレートには、宮澤選手が単独で帰ってきます。
ここからが見所でした。メイン集団からアンカー田代選手とシマノ野寺選手が飛び出し、この2名の逃げが決まり、集団と1分30秒あまりの差をつけてしまいます。こうなると、アンカーとシマノは集団を引くことはしません。集団を引くのは、飯島選手や岡崎選手です。
そして17周目、キナンCCDの広瀬選手とシマノの狩野選手、NIPPO岡崎選手&真鍋選手、アンカーの福島晋一選手が集団からアタック、前を追走します。このアタックからさらに抜け出したのが岡崎選手で、1分30秒近くあった先頭との差をぐいぐいと縮め、気がつけば残り2周で差が30秒を切ります。しかしそこから先頭の田代&野寺選手がペースを上げて、ふたたび差が50秒台に。
ところが、最終周回に猛烈な追い上げを見せたのが真鍋選手でした。追い上げたというか、追いついてしまいます。このあたりの展開は、アナウンスを聞きながらドキドキしてしまいました。田代&野寺&真鍋の3名でゴールへ向かい、最後の上りをクリアしてホームストレートへ。そして田代選手と野寺選手のスプリントとなり、野寺選手が先頭でゴールラインを通過。うれしい初の全日本選手権制覇となりました。
須貝 弦(すがい・げん):1975年東京都新宿区生まれ、川崎市麻生区在住。雑誌原稿の編集・取材・執筆の他、企業Webサイトやオフィシャルブログの制作にも携わる。自転車と小田急ロマンスカーが好き。初めてのスポーツ自転車は1986年あたりのアラヤ・マディフォックス。2001年頃にGTのクロスバイクで数年ぶりにスポーツ自転車に復帰。現在のメインの愛車はアルミのロードバイク「TREK Domane AL3 DISC」。